「試算家」をめぐって

君の5年、僕の5年 2002.4.30

 一昨年の9月に「突発性難聴」になった話を書いた。
 その時隣に入院していたある患者と友達になった。その彼の退院後2度目のデートを、先日果たした。彼は今年高校を卒業したばかりの18歳である。出席日数が足りなくてもう1年高校生活をしなければならないかと思っていたが、担任の先生の厚意で卒業できたそうである。彼の病名は「拒食症」である。何故、彼と僕が同じ病室に入れられたかは知らないがともかく10日間は一緒に暮らしたことになる。
 「拒食症」という病気が何故起きるのかは分からないが、随分前に女優の宮沢りえがこれにかかりすっかり痩せてしまったということを聞いたことがある。彼も同じで食事が喉を通らない病気で、身長が175センチ以上はあるのに体重は40kgを切っているそうで、いわゆるガリガリの体であった。精神科の先生が診察に来ていたから、おそらく心の病気なのだろう。こういう子はけっこういるらしく珍しい病気ではないそうだ。
 
 10日間という時間は一人の人間を知るためには十分な時間である。彼は埼玉県にある武南高校(ラグビーで有名になった)生で、趣味はトランペット、兄弟は姉2人と弟1人の4人兄弟。父親は腕の良い歯科技工士でアウトドア派である。母親は車を運転するがあまりうまくはなさそうだ。
時々訪ねてくる友人は皆性格の良い気持ちのいい子ばかりである。
 電車の中で見る高校生とは比較にならないほど、素直で、清潔感にあふれている。会話も病人と見舞い人とのそれではなく、学校の帰り道でワイワイ言いながら楽しんでいる雰囲気で一気に学園が持ち込まれたようであった。これは彼の持ち味からくるもので、家庭環境の素晴らしさがそうさせていることがよくわかった。彼と話をしていると病気のことなど忘れてしまって、一緒に旅行でもしたくなる雰囲気を持っている。
 
 そんなわけで、私が退院するときに「君が退院したら僕に連絡してくれ。こんな縁だが今後も友達として付き合おう」と申し入れた。
 そして、今回は無事に卒業できたとの報告と今後のことなど聞かせてもらうことになった。
 
 彼は4年制の普通の大学には行かずに、父親の歯科技工士の跡を継ぐ決意をして、そっちの専門学校に行くことにしたそうである。今年は準備不足と根回し不足(合格者はほとんどコネを使っているそうだ)で落ちてしまったが来年は必ず合格してみせると言っていた。その間、父親の仕事を見習って実務を経験しておくのだ、という。その専門学校は4年かかるそうで、その間英語とスペイン語をマスターし、オーストラリアあたりに短期留学をするそうだ。
 父親の歯科技工士の技術は大変なもので毎年ドイツに勉強に行き、歯の矯正の新しい技術を学んで日本に普及する努力をしているそうで、彼も一日も早く役に立つようになりたいと言っていた。そして、趣味のトランペットはずっと続けるそうで、コンサートがあったら僕を招待してくれると言うから、楽しみだ。
間違いなく彼は5年後、23歳になったときには全てを実現しているだろう。歯科技工士としてもかなりの実力を身につけているだろうし、語学も身につきトランペットもうまくなっているだろう。
 それから先はどうなっていくのだろう。本当に楽しみである。
 
 さて、翻って僕のこれからの5年間はどうだろうか。
 どうしても彼のように溌剌と夢多くかたるものがない。彼のように興奮しながら自分の将来を語れない。なぜだろうか。
 僕にとっても、彼にとっても5年という時間は同じではないのか。彼が特別優れていて、僕が劣っているからなのか。
 
 こんな話を同年代の仲間に話してみた。すると、面白い分析をしてくれた。一人の友人が言うには同じ5年でも重さが違う。君の5年は62分の5であるが彼の5年は18分の5である。だから、62歳の5年と18歳の5年ではぜんぜん値打ちが違うのだ、という。
 もう一人の友人は例えば80歳で死ぬとして、僕は5年たつと67歳になり、残りは13年だが、かれの場合は57年ある。だから、彼の5年の方が可能性が豊富なのだ、という。また、23歳で失敗してもまだ何回でもやり直しが出来るが、67歳で失敗したら、もうおしまいだ、とも言われた。だから、同じ5年でも勢いが違うのだ、というのだ。
 なんか、分かったような分からないような気分だが、なんとなく説得力も感じる。
 まあ、彼の5年と自分の5年を比べても仕方がないし、彼に嫉妬しても、劣等感を感じても面白くないので自分の5年は自分で充実させるしかないと腹を決めて、それなりに計画を立て、実行していこうと思っている。
 分子と分母を逆にすれば僕は5分の62で彼は5分の18となり、圧倒的に僕のほうが数字が大きくなるのだ。つまり、少なくとも、世間の役に立つ力は僕の方が沢山持っているはずなのだから。
 
 それぞれに与えられた時間は同じで、それをどのように活かすかは各人の生き方によるということなのだろうか。彼が僕に刺激を与え続けてくれることを祈るばかりである。
 
 

無償で再配布 2001.8.31

『試算家』Ver.2を発売して数カ月経つ。評判は上々である。
 
新機能を豊富に追加し、更に見やすく、 扱い易くしてあるので、Ver.1から切り替えるお客様もかなりの数にのぼっている。
(株)耶馬台コーポレーションの宮地社長の応援もあって、Ver.2はリリースから3ヶ月程で60本も売ることができた。宮地さんはご自身の監修で「 住宅・不動産用語辞典」を出しており、そのネットワークに『試算家』を乗せてくれたわけである。お買い求め頂いたユーザーからのクレームもなく、実に快調に出荷が続いていた。
 ……ところが、7月に入って間もなくのこと。あるユーザーから電話が入った。
 
「剰余金・敷金の運用率を0に設定しても収支表に数字が出てしまうのですが、何故でしょうか」 
 
女性の声で恐る恐るの質問である。
私の経験からも、思ったようにソフトが動かないときには購入したソフトに原因があるとは思わず、自分の操作が悪かったのかと、自分を責めるくせがついてしまっている。 彼女も同じだったようである。
 「えっ、本当ですか?。早速調べてみますので、少し時間を下さい。」
私は少々慌てた。自信作のVer.2初めてのクレームである。
チェックに時間はかからなかった。入力済みデータの運用率を0にするだけである。
 
 アレッ、数字が出る、これは何だ、Ver.1の時からここはいじっていないはずなんだが。
 高橋君(このプログラマー)に聞いてみないと分からない。彼は昼間勤めているので、夜にならないと連絡できない。お客様にはすぐに答えなければならない。結局「私がテストしたところ、同じような結果が出ました。もしかしたら、バグかもしれませんが、詳細はプログラマーに聞かないと分かりませんので、明日まで待ってください。」ということで、お時間を頂いた。
 さて、その夜、高橋君は懸命に原因究明に努めたが、結局土、日までかかってしまった。つきとめた結果はやっぱりバグであった。プログラム上のケアレスミスという奴であった。理由は簡単。
つけておくべき 「 ( 」 を何かの拍子にはずしてしまった、と言うのである。
 
この プログラムは頻繁に改良を加えており、その都度試験運転をおこなっている。試験運転のときエラーが出たので、チェックしたところ「( 」 がついていたので、それが原因だと思いこんでしまった。はずして再チェックしたら、エラ−が消えたのでこれで安心してしまった、と言うわけである。正しくは 「( 」 をはずすのでなく、「) 」 をつけるべきところであったということである。
 どうも根気のいる仕事である。一つ一つの数字と記号が重大な意味を持っており、その組み合わせ作業がプログラミングと言うことだ。一度組んだプログラムから、バグの原因を探すのは時には砂の中に落とした一粒のゴマをさがすような作業になってしまう。見つけ出すのに丸2日かかったというのに、取り出すのはほんの2,3秒 。
 
 
 原因が解明したら次の問題である。すでにご利用いただいているお客様にはどのようにサポートさせていただくか。60人あまりのお客様たちがこの不具合を知らずに使われている。この不具合、収支計算全体から見れば事業の判断に影響を与える程のものではない。この程度のバグであれば、商品の致命的な欠陥からはほど遠い。不具合についての情報をご案内して、小さなクセのようなものだと甘えさせていただいて、ご要望のお客様にのみ再送させていただくというのも一つの筋の通し方ではないかと思えた。送り直すコストは馬鹿にならない。
 しかし、気持ちが悪い。なんとも心持が良くない。知らないでいた時は正に 「知らぬが仏」でいられたが、知ってしまった以上は自分が許せない。
高橋君と協議の結果、60人のお客様たちに修正版を無料で送ることに決定した。費用も手間もかなりかかるが、思い切ってやることにした。
 
 60名のユーザーには今月中(8月)に全員無償配布が行われることになっている。
 
 ソフトウェアを作って売るというビジネスは面白いものだが、それは責任あってのものなのだと改めて身を引き締めている。
 
 

筆跡診断で性格判定 2001.2.25

 筆跡鑑定という言葉は知っていた。テレビのドラマなどで犯人を特定する時に「この手紙は彼が書いたものに間違いない」等と言って別の時に書いたものと照らし合わせる場合などに出てくる。
 
 ところが筆跡診断は文字の書き方でその人の性格を分析するということである。前にも少し触れたが私が参加している勉強会「あかさか50」の講師として招かれた先生がこの筆跡診断士である。日本にはまだ3人しかいないというから、できて間もない資格である。先生曰く「人の筆跡はその人の心理の足跡である。本人の気付かぬところで、心の状態が外にでているわけで、文字を診ればその人がどんな性格の人かすぐに判る」という。
 
 漠然とであるが、今までも人の書いた文字を見てこの人は気性の激しい人だなとか几帳面な人だななんて印象を持ったことは私だけではあるまい。それがきちんと理論付け、体系付けて研究している人がいるとは知らなかった。日本ではまだ知られていないが欧米ではすでに100年以上の歴史があり、特にフランスでは筆跡診断士は国家資格の認定を与えられ、多方面で活躍しているそうな。
 先日の講演ではあまり時間がなかったので、ほんのさわりだけしか聞けなかったが結構面白かった。例えば、口という字を書くときに一画目の縦線と2画目のカギ型のスタート(起筆という)をつける人とつけない人では性格が違う。きちんとつける人は几帳面、よくルールを守る人。あける人はおおらかで融通性ある人だそうである。金運から見るとあけて書く人のほうがお金が入ってくる筆跡だそうである。会場では皆に「野口様」と書かせて、それぞれ書き方の特徴から、ここを長く書く人はこうだとか、篇とツクリの間が狭い人広い人の違い等大変面白かった。そして意識して自分はこうありたいと思えば、それに筆跡を似せていれば、いずれそうなれるとも言っていた。私は口という字の1画目と2画目をくっつけて書く癖があるのでお金が入ってこないそうだから、これからはあけて書こうと思っている。
 この先生は鈴木則子さんといって、坂本龍馬で有名になった京都伏見の旅館『寺田屋』の14代目の娘として生まれたという。龍馬の活動を心から支えた当時の女将「登勢」の心意気を受け継ぎ、一人一人世界にたった一つしかない「いのち」をいっぱいに花咲かせ、
輝かせて生きていくことを提唱し、感性総合研究所を主宰し『きらり道表現教室』を開いている。
 
 最近はだんだん有名になってあちこちで講演を依頼されているそうである。もしも良い講師がいないかと探している人がいたらいつでも紹介する。喜ばれること間違いない。
    
 実はこの先生は私の仕事仲間の奥さんでもある。旦那は新宿駅南口でラッキーコーポレーションという不動産業を経営している。大きな声でよく笑う誠実な男である。読者の中には彼のことを知っている人がいるかもしれない。裏表のない本当にいい男である。
 

 

本物志向がはじまった 2001.2.12

 世間ではバブル崩壊後の10年を「失われた10年」といって、意味なく10年を過ごしてしまったかのような表現をとる人がいる。
 たしかに日本経済は何の策もなく10年を無為に過ごしてしまったのかもしれない。それはおもに政治の責任と思うのだが。あるいは、経営者たちも次の手をどう打つべきかわからず、気がついたら10年経っていたということなのか。
 そして日本経済はまだまだ暗闇を抜け出してはいない。
 
 この不安は消費をますます抑える方向に行き、人々の心はいらいらし、理解できない行動を引き起こすものも出ている。
 犯罪はもちろん本人の責任ではあるが、ある種の社会現象ととらえることもできると思っている。しばらくはこんな状況が続くだろう。でも私は悲観ばかりはしていない。否、将来に向かっては確実によい方向に、言い換えるならば、本物の方向に向かっているものと感じている。それはものづくり、サービスの分野である。
 
 特に私が身を置いている不動産の世界の変化はすごいものがある。バブルの時代は作れば売れるときだった。ものの善し悪しは二の次だった。ところが、崩壊後は全く逆転した。つくっただけではもちろん売れず、物がよいからといっても買う人はいない。売れるものは本当に品質がよくて、当然安く、サービスが良く、さらに買う人がどうしても必要なものであって初めて売れるのである。
 たとえば、ライオンズマンションの大京の変化。
 操業社長の横山氏が退陣し、三和銀行からの長谷川氏になってからはその商品、販売方法、アフターケア、社員のどれ一つとっても正反対のやり方である。そして、それが大成功している。かつての大京は青田売りといって、建築確認をとったらすぐに売りに出したが、今の大京は完成品にしてからしか売らない。営業方法は電話攻撃でアポを取ったら徹底的に売り込み、営業マンには報奨金というニンジンがぶらさがっていた。今は、パソコンの前に座ってお客とメールの交換要員が100人もいて無駄な営業は絶対にしない。もちろん、報奨金制度は廃止されている。これによって契約解除率は激減した。一兆円からの有利子負債を抱えての歩みだから容易なことではないと思うが、確実に成功の道を歩んでいる。
 
 一方、プレハブメーカーの旭化成も3年前に経営方針の大転換をおこなった。従来から同社はアフターサービスをビジネスと位置づける戦略を採り、他の住宅メーカーに比べてアフターサービスが良かった。それを実に徹底して、顧客の満足を得ることを第一義としたことである。通常住宅メーカーは営業を中心に人の配置、権限などが決められるものだが、同社は顧客サービスこそが将来への投資と位置づけ顧客の信頼を得はじめている。これからは顧客の目はますます厳しくなり、絶対数もへっていくわけだから、本当に良いもの、良いサービスしか買ってもらえなくなる。
 
 しかも高くては売れない。私はバブルがはじけて目が覚めたと思っている。
 もともと日本には職人気質というものがり、良い仕事をすることに誇りがあり、それを尊敬する風土があった。今こそ、このよき伝統を取り戻す好機と思っている。誰もが自分の立つ位置をしっかり見つめ、そこで努力する気風が来ることを望んでいる。日本人にはそれが一番にあっていると思うのだが、どうだろうか。
 
 
 
 

Version2ができました 2001.2.14

昨年の9月に突発性難聴の話を書いて以来だから、かれこれ5か月くらいさぼってしまった。心優しい人からは「そのあと耳の具合はどうですか」なんてメールが届いたりしていた。おかげさまですっかりよくなりました。でもあのとき決意した最低月1回はストレス解消のために遊ぶということがやっぱりできずにいる。
 よくよくものぐさなんだと思っている。
 さて「試算家」の話をしよう。高橋君の奮闘もあってようやく Version2 を出すことができた。これはすごいぞ。Version1ではできなかったことがほとんど可能になっている。
 たとえば、借入金の返済について、借入時から5年間は据え置き期間として、いつからでも返済することができる。あるいはちんりょうけいさんについては、u、坪、戸、質、棟となんでも併せて単位を決められる。また、Version1ではグラフに対するコメントはプリントアウトしてから手で記入するようになっていたが、多くの要望により、キーボードで入力できるようにした。
 その他、改良点を数えると15カ所にも及んでいる。そして今は更に数カ所の改良に高橋君は取り組んでいる。
 
 価格についてはも予定通り 60,000円にすることができた。
 マニュアルも一新し、Q&Aをつけるなど、より使いやすいものにした。今後はいかにして広く知ってもらうかが課題となる。このホームページを見に来てくれる人の数は日に日に増えてはいるのだが、そのわりにはオーダーが少ない。もっとわかりやすい内容と、扱いやすいデモ版が必要なのか、納品後に送金してもらうようにするべきなのか(2001/02/04 から、そのように変えました)、いろいろ考えてみたい。アイデアやご意見があったら、のどから手が出るほど頂きたい。
 
 最近の購入者の職業を見てみると、建設業が多くなってきている。たぶん建設営業も提案型に変わってきているのだろう。今後はますますこの傾向が強くなる。ただ「お仕事ください」では通用しなくなっているのだろう。そうした意味では私の本業の領域に迫られているわけだから、こちらはプロとしてもっとレベルの高い提案をしなければならないわけで、プレッシャーがかかってくる。土地活用や不動産賃貸事業の収支計算ソフトとしてあくまで「ツール」としての位置を守ってきたが、今後はそのワクを越えて、営業に役立つツールとしての開発が必要なのかもしれない。
 たとえば、動画を入れるとか、音が鳴りかわいい声が出てくるとか、事業の評価がビジュアルに表されるとか、あるいは単におもしろいとか、楽しいとか。感性に訴えかけることも考えなくてはならないのかもしれない。もっと進むと地主と一緒に考えるソフトというのもできるかもしれない。たまごっちという玩具ができているくらいなんだから、技術的には不可能とは思えない。こんなことを思っていると際限なく進むITの世界のホンの入り口に立っただけという気がする。
 
 私の今年の年賀状には、もうITなんかに振り回されないぞ、と、決意も新たに掲げては見たのだが、激しくすすみ深さも増していく技術革新を知るにつけ、どうも自信がなくなってくる。が、なにしろ、ここで逃げ出すわけには行かないのだから、せめて焦ったり、劣等感に悩まされずに、楽しみながらつきあっていきたいと思っている。
 
 数年前に還暦を迎えた自分にしては、まずまず善戦しているのではないか、と自分を励ましたりもしてみる。
 みなさんは、如何ですか?
 

突発性難聴の急襲 2000.9.18

8月30(木)のことだ。不動産協同組合の情報事業委員会の席で急に人の話が聞きにくくなった。後頭部が重くなってきた。議長をしていたので途中でやめるわけにもいかず、結局7時頃までかかってしまった。副委員長の三ツ石さんにはなしたら、それはすぐに医者に行った方がいいという。後で取り返しのつかないことになったら大変だから、と。
 
 そこで帰りの途中にある東京警察病院に駆け込んだ。総武線飯田橋駅の神楽坂よりの出口から100m程度の立地だ。平素は何の印象もなく前を通り過ぎていたのだが、中に入ってみると受付には警察官のような青い服を着た人がいる。地下の救急患者受付にもなんとなくそれらしい人がいる。壁には警察官を先に診る場合もあるので了承してほしい、という張り紙。
 
 頭が痛くなったときにまず頭をよぎったのはクモ膜下出血のことである。この病気が具体的にどんな病気であるかは詳しくは知らないが。脳内の血管が破れて出血し、数時間で死に至るこわい病気であるということは聞いている。その原因は過労や極度の緊張が続いたときに起こることが多く、中年の男性に多いそうである。夜間勤務医は内科の先生であったが問診後、すぐにCTを決定してくれた。
 
 CTとは頭を輪切り状態にしてレントゲンを撮る方法で、かなり精密にわかるようである。その結果、脳には異常がないから安心しなさい、明日耳鼻科にきなさいという指示であった。
 
 まずは一安心して帰途につく。
 
 翌日9時に耳鼻科に行くと、すぐに聴力検査をされる。そしてこの検査は退院の暇で毎日続けられることになる。この検査は健康診断を受けた人ならたいがい経験していると思うが、ヘッドフォンを耳に付け、片耳ずつ音を聞く検査である。小さな小さな音がでて、それが聞こえるとボタンを押す。単純なものである。
 
 私の場合、左耳ではほとんど音をとらえることができず、完全に難聴でそれが突然起こったので病名は「突発性難聴」ということだそうである。この病気はけっこうポピュラーなもので、若い人も男性も女性もかかるものらしい。
 
 先生は「明日、入院してください」とあっさり結論を出してくれた。後で知ったことだが、この病気は発症から器量を開始するまでの期間が短ければ短いほど治癒率が高いそうである。午前9時に病院に入って、聴力検査、採血、採尿、耳のレントゲン、先生の診断後ベッドに寝かされ、点滴を2時間ほど、終わったのは午後1時であった。
 
 それから会社に戻り、あちこちに電話をかけまくり「明日から当分の間休むからよろしく」と忙しいこと忙しいこと(本当は早く家に帰って安静にすべきだがそうもいかないのがビジネスマンのつらいところ)。
 
 そして9月1日には入院の支度をして、再度、病院を訪れたというわけである。
 
 入院中のことは次回に譲るとして、なぜこんな病気にかかってしまったのかといえば、第一に過労、第二にストレスということになる。思い当たることは山ほどある。たまたま私の場合は耳にでてしまったが、胃にでる人、頭がはげる人、髪の毛が白くなる人、心臓にでる人など、出方は様々あるようだ。現代人にとって過労とストレスはつきものだから、満員電車はこれらの病人を毎日運んでいるようなものである。
 
今回の8泊9日の入院でつくづく思ったことは、まず疲れる前に休むこと、次に最低でも月に1回はストレス発散をすること。特にストレス発散は無理してでもおこなうこと。体の疲れは休んでいればとれるが、心の疲れはジッとしていてはとれない、むしろ少しからだが疲れても何か夢中になれることをすることが大切と痛感した。
 
 思い返すとこの1年、好きなつりもゴルフもほとんどやらず、休みの時はテレビで前でごろごろしていただけであった。
 
 これからは億劫がらずに遊びにでようと思う。たしか若い頃は遊んでばかりいたはずなのに、それができなくなった体力を恨んでばかりはいられない。さあ、今度の土曜日は相模湾でイナダ釣りでもしてこよう!
 
 

4月5日は役員選出 

『試算家』の売れ行きも気になるところだが、この時期は各団体とも新役員選出に忙しい。
 私の所属している東京都宅地建物取引業協会も、会長を始めとして、各支部長、三役などを決めるのに、皆目の色を変えて取り組んでいる。
 
 私などは余り関心もない方だが、過去3年間に港区の研修委員長、総務委員長協同組合の情報事業副委員長等を仰せつかってしまった関係上、知らん顔している訳にもいかず、つい、つまらない政争に巻き込まれてしまいそうだった。
 大分、すったもんだあったようだが、なんとか新会長も藤田氏の留任と決まり、新人事でスタートを切ることになった。
 なにせ、団体役員なんてものはボランティア活動に似ていて、時間と金がなくては続けられないものだ。ものの本に「事業で成功を目指す人は、団体役員には決してなるな」とあったが私もその通りと思う。
 一方、誰かやってくれる人がいないと困るのも又事実である。だから、出てくる人は半分以上が余裕のある人で、あと半分くらいの人は断りきれずに、ずるずると出てしまっている人々である。ある意味では私もそのずるずる組の一人である。大勢の人と知り合いになれるとか、いち早く業界に関する情報を得られると言ってはみるものの、決して心の底から納得しているわけではない。
 そして又、今期も協同組合の情報事業委員長を引き受けてしまった。
 
 この情報事業委員会というのは、不動産に係わる情報(物件情報でも法律問題でも、税務問題でもその他社会問題でも)について、会員の業務支援のために役立つ事業を行う部署である。例えば、かってはレインズプロの開発をしたり、ホームウエブの開発をしたりしていた。
 さて、今期は何をするかといえば、不動産関連の業務支援ソフトを制作することが前期からの宿題になっている。
 
 そこには賃貸管理、取引上の整理、物件登録用の便利ソフト、諸不動産関連書式集、作図ソフト、その他もろもろを盛り込もうという企画である。巷には安くて良いものが沢山出ているが、それよりも質が高く、しかも色々な業態の人に喜んでもらえるソフトを作らねばならないのだから、やりがい十分だ。
 
 幸い、新しく決まった仲間たちは非常に頼りになる人たちだから、なんとかなると思うが、ちょっと気が重いことも又事実なのである。(^-^;
 

定期借家の人気講師 2000.2.12

 昨日は私の所属する「東京都宅地建物取引業協会港区支部」の研修会があった。
400名近い人々が熱心に受講されていた。
 テーマは『定期借家権の解説と実務応用について』であった。
 講師は前半の解説を江口正夫弁護士、後半の実務応用を林弘明氏にお願いした。
お願いした、と書いたが、実は私はこの会を主催する責任者。港区支部の研修委員長を拝命している。まあ、この大役も今期で終わり、約5年間を無事に過ごし、今はほっとしているところである。
『役立つ研修、聴いて得する研修会』をめざしてやってきたが、果たしてどうであったろうか。
 テーマの設定から、講師選びまで、その時々の状況を考えて決定することは楽しみでもあり、責任の重い仕事でもあった。
 そんなわけで、今回は「定期借家権」について勉強することにした。
 講師の両先生は、この世界では売れっ子タレント並の人気講師である。
 特に江口先生は「定期借地権」の解説で名を売った方であり、その語り口のやさしさと、(見た目にもいい男である)難しい法律用語を日常会話の言葉に直して話される力は凄いものがある。昨日も大勢の参加者から、「非常によく分かった。いい講師だった」と喜ばれた。
 林弘明氏はハート財産パートナーズ社長で、自ら不動産コンサルタントをされている実務家である。彼の得意とするところは、貸し地、貸家等眠っている財産を有効に活用するアイディアを出すことである。
 話しを聴いていると思わず引き込まれて、時間のたつのを忘れてしまう。
 いつも、もっと聴きたいなーと、いう思いを抱かせる講師である。
 林氏は不動産コンサルティング林流なるものを開発し、定期セミナーを開いているが、セミナー参加者は会員とかメンバーとか言わずに『弟子』と呼んでいる。本人は、林不堂弘明と号し、宗家を名乗っている。
なかなかシャレた人物である。
 前前回に定期借家の応用などについて述べると書いたが、林氏の話を聴いて、とても書ききれるものでないと思い、やめることにした。関心のある方は、3月1日に江口・林氏による本がでるのでそれをお読みいただきたい。
 この定期借家権については、不動産に関する仕事をしている者にとっては必須知識である。本を一度読んだだけで終わらず、いろいろな機会に勉強し、完全に自分のものにしたいものである。これからも実際を追いかけていこうと思っている。
 
 

金融機関のお墨付き 2000.1.21

昨年の7月の暑い日のことである。東京の多摩地区を代表する金融機関、多摩中央信用金庫業務部の清水さんから電話があった。
「ちょっと相談があるので来てほしい。用件は当金庫の融資審査の為の計算ソフトについてです」
 
 早速、プログラマーの高橋君と一緒に訪問した。
「今まで使っていたソフトでは、何かと不都合が多くて、どうしても改良する必要に迫られている。ついては、貴社のソフトをベースにして、当金庫用のものを作ってもらいたい」
 ということである。
 こちらとしては「かしこまりました。オーダーを整理して出してください。すぐにでも取りかかりましょう。」と返事をした。
 いつくるかいつくるかと再度の呼び出しを待っていたが、
 いっこうに電話はなかった。
 
 もう秋も半ばの10月初めに、2度目の呼び出しがかかった。
 行ってみて驚いた。担当者からその上の部長さんまでが揃って挨拶してくれた。その時は完全に当社に依頼することに決まっていたようである。
 なんでも、6ヵ所くらいからソフトを取り寄せ、色々比較検討した上での決定と言うことである。理由は日銀考査(日本銀行が各金融機関を回っていろいろ調査をおこない、正しく業務をおこなうよう指導することだそうだがけっこう厳しいそうである)の時に、従来使っていたソフトでは駄目だと言われ、あわてて代わりのソフトを探し回り、最終的に当社の「試算家」がもっとも優れているという結論に至ったそうである。つまり「試算家」は金融機関のお墨付きを得たわけである。
 
 さて、それからが大変だった。先方のオーダーのあること、あること。
 さすが、金融機関ともなると注文内容も細かいし、精度も高いことを要求してくる。
 
 例えば、借入金の返済についても据え置き期間を10年までとったり、空室率を100%(従来は30%)まで計算できるようにしたり、アウトプットされる帳票も多摩信独自のものとしたりと、結構手間のかかるものが多くある。
 
 しかし、どんな注文がでようとも、我が高橋君は動じない。
「分かりました。やりましょう。」と応えられる。
 
とは言うもののコンピュータのプログラミングは大変だ。膨大な計算を一瞬にしてやってのける裏には緻密な計画と気が遠くなるような単純作業が山ほどあるのだ。コツコツこつこつねばり強いタフさがないとできるものではない。幸い清水さんはその辺の苦労がよくわかっている人で高橋君に会うたびに「このソフトはすばらしい。高橋さんはすごい人だ」と言っておだでとも励ましともとれる言葉を贈ってくれている。こうなると乗りやすいのも彼のいいところ。いい仕事をして喜んでもらうことだけが生き甲斐になってしまう。……というわけで今は毎日毎日パソコンの前で奮闘している。
 ……2月末頃には金融機関が融資審査する為の最強のソフトが完成するはずである。
 
 一方、当社のホームページを見たという人から電話があり「自分は投資用ワンルームマンションを販売しているが、簡単に入力できるソフトは出来ないか。今の『試算家』は詳しすぎるのだが」という話しがきた。
 高橋君は早速「かんたんモード」のソフトを作ってきた。
 一画面に必要事項を全て入力し、確定ボタンをクリックすると、アッというまに計算結果が出るというものだ。ワンルームマンション購入による収支計算であれば、この程度で十分である。
 いずれ、これについてもご紹介する。
 
 

定期借家権法成立で何が変わったか 

12月9日の参議院で定期借家権法が成立しました。正式には「良質な賃貸賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法」というようそうですが、要は、58年目にしてようやく賃貸における「正当事由」の鎖がはずれたということです。この法律の施行は平成12年3月1日からとなります。
 
 先日、定期借家権推進協議会に出席しました。
 なんでもはじめはこの議案が衆議院の法務委員会で取り上げられていたのだそうですが、あまりに通りが悪いので建設委員会に移したそうです。こうした例はないそうです。建設委員会に移したとたんにぐっと加速がついて、衆院通過、参議院にて可決という順で決まったそうです。なんでも東京都宅地建物取引業協会の藤田会長が大変努力されたとのこと。大勢の議員がそういっていました。
 さて、この定期借家権ですが毎日のように講習会の案内が、手紙やFAXでまいります。私もかなり関心がありますのでいろいろな資料を入手しておりますが、先の定期借家権推進協議会で説明のあった重点事項をここに述べたいと思います。
 
 1:契約は必ず書面でおこなうこと
 民法上、契約は申し入れと承諾で成立することになっています。が、ここでは必ず書面でおこなわねばならないと言うことです。
 
 2:契約上の期限の定めがないということ
 従来の借地借家法では、1年未満の契約は期間の定めのないものとされ、20年以上の契約は認められなかったのですが、この法律ではそれがはずされたということです。
 
 3:契約内容は家主の書面によって説明すること
 家主は、当該賃貸借は更新が無く、期間の満了により終了する旨を書面で行わなければならないとされています。しかし、実務上難しいこともあるため、仲介業者が家主の代理にとなってそれをおこなえばよいそうです。そして賃借人からは必ず日付と受領証をもらっておくことが大切であるということでした。
 
 4:契約期間の終了の通知
 契約終了の6ヶ月前には、書面にて通知をし、住借人から回答をとっておくことだそうです。
 
 5:200u未満の居住用建物について
 200u未満の居住用建物については、賃借人は1カ月間の猶予を持って中途解約できるそうです。
 
 6:賃料改定の特約が有効になった
 従来の法律では、賃料改定の特約を入れてもそのときの事情で実行されないことが多かったが、この法律ではあらかじめ特約しておくとこれが有効であるということです。
 
 7:普通借家契約から定期借家契約への変更
 普通借家契約から定期借家契約への変更はできない。たとえ、貸し主・借り主双方が合意していても居住用に供されていればできないそうです。
 
 8:見直しの時期
 4年を目途として見直しをする。
 
 4年後に見直しをするそうですが、5の200u未満の項目や7の普通借家契約からの切り替えなどは是非とも見直し、当事者の意志決定に任せるように設定してもらいたいものです。
 
 ともあれ、この法律施行により、かなりいろいろなことができるようになりました。
 
 次回は、それらのご紹介をさせて頂きたいと思います。
 

日記SP Ver.1.56(C)HPサービス
 

HOME